捕食圧(ブログ第9号)

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家族を持つメリット
 このところ立て続けに色々な世代の方にファミリー・ルネッサンスの話しをしています。  家族という一つの言葉に対して色々な理解や思いが一人ひとり異なり多様であることよいのですが、たとえば「家族を持つメリットを教えて下さい」のような違和感を覚える言葉が飛び交うことがあります。多様化ということで結構なことかもしれませんが、このような言葉には心配を感じます。ご自身と家族を別物と捉えておられるのではないかと思うからです。別の言葉では、互いに刺激し合い互いを認識し合う家族の家族間相互作用をお考えになられていないと思うからです。
自分は、他に頼ることなく自分一人で生きているという認識が、そうさせるのでしょうか。そうであれば、何故そのような考えが生まれてくるのでしょうか?この疑問を解くカギは「捕食者」にありそうです。

捕食圧
 人類の祖先は熱帯雨林樹上から地上に降りて生活することを選択したのですが、待ち受けていたのはいつ捕食者、徘徊する肉食獣に命を奪われるか分からない猛烈な捕食圧です。捕食圧に対抗するためにそれまでに獲得していた集団生活に加え、直立二足歩行、高度な脳機能・言語を獲得、ペア生活(家族生活)を発明し、現代に至っているわけです。捕食圧が家族や社会を作っている原動力と理解できます。
一方、現代は確かに身の回りに肉食獣はいないどころか、人類は食物連鎖の頂点に立っており、人類こそが目に見えるすべての生きものの捕食者となっています。現代の人類は祖先が直面した捕食される危険は格段に低くなっていると思います。

捕食者がいない世界ではタガが外れる?
 祖先が晒されていた捕食圧がなくなり、そこそこに食べ物が調達できるようになると人類はどうなるのでしょうか?捕食圧を意識することがなくなり、家族や集団のありがたみを感じなくなるのかも知れません。ある意味、テキトーにやっていれば食べ物が手に入りますので当然かもしれません。わが国では社会保障制度がありますので生きていれば食べられるという状況がありますのでなおさらです。
家族や集団を意識しないようになると、そこには自分自身に対する問いかけや自分自身の存在の確認は不要となります。自分自身の存在に対する問いかけをせず、家族や集団を認めない、そのような状況ではないでしょうか?実在感のない狂気・狂信が満ち溢れ不安定な世界になってしまうと思うのですが如何でしょうか?

本当に捕食者はいなくなった?
 捕食圧の恐怖から本当に解放されたのか?捕食者は本当にいなくなったのでしょうか?
実は、生きものの捕食対策は肉食獣という目に見える大きな生きものによる捕食の他に、目に見えない細菌など伝染病や宿主による遺伝子組み換えによる種の全滅防止対策があります。目に見えないレベルで“捕食”され、病気や死、あるいは種全体を絶滅に追いやられないようにする対策です。たとえば、エボラ出血熱対策です。

隠れ捕食者
 目に見えない捕食者は細菌やウイルスばかりではありません。人工環境です、文明です。別の言葉でいえば、私達が日常感じる“悩み”の原因です。狩猟採集時代にはなく、人類が自ら作り出した、「所有」、経済、法律、会社、政府、技術、・・・など枚挙にいとまがありません。私達はそれらにどっぷり浸かっているので、それが“捕食者”とは思っていなかったと思うのですが、争い(例:戦争)や各種汚染などをみる“捕食者”以外何物でもない、あるいは“捕食者”のタマゴと思われます。恐ろしい“捕食者”に育たないうちに潰しておく必要があります。
人工環境=捕食者のタマゴ。だから人工環境とうまく付き合う!
自然環境に加え、人工環境への適応問題が私達に突き付けられているのです。このことをしっかり共有することが大きな課題のように思われます。
ファミリー・ルネッサンスはこのことについても情報発信していきたいと思います。

2016年1月29日
末吉 一成(㈱インコントロ ファミリー・ルネッサンス事務局)

捕食圧(ブログ第9号)
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