先代の脳(ブログ第12号)

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親の背中を見て育つ
 私達はありふれたことがらに対しては鈍感なところがあるようです。あって当たり前、行われて当たり前、親と子は当たり前すぎて、親は子を、子は親をお互いに何でも知っているように思っているのではないでしょうか?親からは、子は親のことを知っているはずだ、親はこのことを知っているはずだと思うことはありませんか?
生き方についても同様に親と子の間では、お互いの生き方を知っているはずだと思うことはありませんか?「親の背中を見て育つ」などがそれです。

非言語の記憶
しかし、それらは壮大な誤解かもしれません。前にも話しましたが、一人ひとりの生活環境は異なります、遺伝子も一卵性双生児を除いて異なります。また、一人の細胞が60兆個あり、それら一つひとつのことを自身ですら知らないのです。親と子に限らず、一人のことについてすべてを知っているということはあり得そうにありません。
ただし、言語ロジックで知ることと非言語で共感・共鳴・同情ベースで知ることは別です。「親の背中を見て育つ」は共感・共鳴・同情ベースで親の生きざまを感じ取り、記憶され、それがのちに言語ロジックで表現されるということではないでしょうか?  言語にならない感じとりや、記憶はもっとあるはずです。

先代の脳
 進化の原則は、進化は、それまでの形質を削除して新しい形質に置き換えるということではなく、それまでの形質に新しい形質を“上乗せ”するということです。私達の脳の進化の歴史から見れば、言語以前の脳(先代の脳)に新しい言語の脳が“上乗せ”されて今の私達の脳になったと理解できます。私達の脳には共感・共鳴・同情ベースにより理解する先代の脳(非言語)と言語により理解し記憶する脳(言語の脳)の2つの脳機能が働いているといって良いのではないでしょうか?
言語の脳において本人は言語や言葉では理解も記憶もしていないが、先代の脳の共感・共鳴・同情ベースではとても受け入れられていないプレッシャー(ストレス)がある場合、たとえば他人の言動などは厄介です。本人の言語の脳では認識していませんので、本人が言語でうまく表現できないことは当然です。ですがまわりの人が先代の脳に残っているそれらプレッシャー(ストレス)を見つけてくれることがあります。私にも体験がありますが、その当時「少し疲れていませんか?」と指摘されましたが頭の中では疲れているとは思っていまので即座に否定したことがあります。後になって振り返るとその指摘は正しく、プレッシャーを言語ベースの脳では理解も記憶もできなかったのですが、非言語の先代の脳は処理できず悲鳴を上げ「少し疲れている」表情や態度で表わしたのだろうと思います。

睡眠(メンテナンス)
 確かに上記の状態のときは朝の起床時のコンディションが良くありませんでした。すっきりとしない日が続いていました。睡眠(メンテナンス)で取り除けなかったプレッシャー(ストレス)が疲れとして残っていたのだろうと思います。その証拠にそのプレッシャーの原因となっていることが取り除かれた時からスッキリとする朝に戻り、実感として原因と症状(?)に気づいた次第です。
言語すなわち言葉で言い表せない、睡眠というメンテナンスで消化できていないプレッシャー(ストレス)は先代の脳に記憶され、朝のコンディションに現れるということだろうと思います。朝起床時に感じるコンディションの良否は、実は脳にそれまでに溜まっている未消化のプレッシャー(ストレス)の有無を知らせてくれる信号といえるのではないでしょうか?
朝の起床時のコンディションを見ていくことの大事さを痛感したということと、このことを広く知って戴く必要があると思った次第です。朝の起床時のコンディション観察を大事にしましょう!

2016年2月5日
末吉 一成(㈱インコントロ ファミリー・ルネッサンス事務局)

先代の脳(ブログ第12号)
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